MASTER
茶師は、茶の仕入れから合組(ブレンド)までを一手に担い、時には茶の生育から携わる、お茶づくりのプロ。
茶師の持つ味覚や嗅覚は非常に鋭く、長年の経験や培ってきた感覚によって、その時の最高のお茶ができあがるのです。
茶師がいることで、皆さまの元に美味しいお茶を届けることができます。
京はやしやでは、宇治にある「桑原善助商店」四代目当主の茶師・桑原 秀樹氏とともに、おいしいお茶とスイーツづくりにこだわっています。
一般的には、茶を仕入れて、仕入れた茶を火入れ加工し、合組(ブレンド)を行う人のことを指します。 良い茶を仕入れるために、時には茶園農家の方と協力をし、茶の生育にも携わることも。
元々は、江戸時代に宇治で碾茶の製造に携わった人のことを茶師と呼んでいました。実は、土地によって茶師の仕事内容というのは異なります。
例えば京都の茶師は、農業はせず、宇治の茶園農家からお茶を集めて、それを仕立てて壺に詰めたものを、将軍家や裏千家、大きなお寺、大名におろしていました。一方静岡では、京都で言う「焙炉(ほいろ)師」のことを茶師と呼んでいます。(焙炉(ほいろ)師とは、焙炉を用いて手揉み製茶を行う人のこと。)
昭和48年3月(1973年)「桑原善助商店」の社長に就任。茶業歴48年、社長歴47年となる。
書籍は「抹茶の研究」(平成24年3月15日、農文協プロダクション)、「お抹茶のすべて」(誠文堂新光社)「抹茶事典」(台湾)の3冊を執筆。その他に、「月刊茶」(静岡県茶業会議所)、「茶論」(日本茶インストラクター協会)などへ50回以上寄稿している。
第22回紫式部市民文化賞(宇治市)受賞。
平成7年(1995年)より約5年間、日本茶インストラクター協会設立に携わる。設立後は、約8年間、副理事長兼関西ブロック長を担当。現在は、日本茶アワード実行委員長を担当。
茶の仕入れや仕入れた茶の審査試験、合組(ブレンド)を行なっています。良い茶を生産していただくために、生産者の方と話をするなど、茶の生育に関わることもあります。その他に茶に関する執筆を行なったりしますが、これは1日の仕事が終わった後や休みの日に進めることが多いですね。
休日は茶の研究をするために、図書館で1日過ごすこともありますよ。
初心忘るるべからず、でしょうか。
茶は奥が深く、毎年の気候変化と各地の風土で同じ製茶は不可能で、毎年毎年が勉強。毎年、1年生の心で茶と向き合っています。私としては、まだまだ茶師になれたとは思っていません。
京はやしやさんとは、もう長い付き合いになります。六代目と昔から付き合いがあり、その縁でお仕事を一緒にさせていただくようになりました。
もともと京はやしやというのは、歴史ある素晴らしいお茶屋さん。かつては番付表で西の辻利、東の林屋などと言われていたんですよ。そんな権威あるお茶屋さんと仕事をさせてもらえて、光栄に思っています。
どんな茶づくりでも同じですが、本来の茶の旨味や香り、味を生み出すことにこだわっています。
自分が茶について学んでいく中で、今の茶作りは、本来の茶の良さを失わせてしまっている部分もあるのではないかと考えるようになりました。(それが爽奏緑茶を作ろうと思ったきっかけでもあります。)
本来の茶をつくり、京はやしやさんを通じて世の中の人に味わっていただく。
それは飲み物としての茶だけでなく、スイーツでも同じです。商品によって、最適な抹茶の種類や配合するバランスを少しずつ変え、茶を味わえるスイーツを作るようにしています。
今、京はやしやさんと一緒に取り組んでいる「爽奏緑茶」を世間に広めるということですね。
「爽奏緑茶」は、煎茶の原点に戻り、製法から見直しました。茶葉の見た目ではなく、味や香りを重視し、煎茶本来の美味しさをを再現するべく、茶園農家さんにも協力していただきながら、数年の時間をかけてやっと形になりはじめました。
自分の人生をかけて、「爽奏緑茶」を新たな煎茶のカタチとして世間の人に認知されるような茶づくりを続けていきます。
桑原善助商店 茶師
桑原 秀樹氏
茶師
桑原 秀樹氏
茶師という言葉は定義が曖昧なので、私も含め、みなさん自由に茶師と名乗っているんです(笑)
茶の歴史は奥が深く複雑なため、それで良いと思いますよ。